社会問題部門

邑久光明園交流会レポート

三月十六日、春といっても暖かすぎる気候の中、邑久長島大橋を渡った。「こんなに霧が深いのは初めてやわ」と、光明園の職員の方も驚くほどの海霧の中は肌寒く感じた。

この日は、石田裕園長が退任されるとのことで、光明会館で挨拶があり門法会の方々と一緒に出席させていただいた。 ご自身のこれまでハンセン病に携わってきた経験を丁寧に話された。海外でもハンセン病対策に第一線として従事され、多くの患者の治療にあたられた。

その中で、バングラデッシュでの積極的な検診活動を振り返り、「もしかすると、自分がその村を押し掛けたことにより、本人や周りの人達につらい想いをさせてしまったのではないか、差別、偏見を助長させてしまったのではないか。今でも慚愧の念に堪えない、そう感じている。自分が正しいと思って仕事をしている時が一番危ない。もしかすると間違っているのではないか。一歩立ち止まって考える視点を持たなければならない」と話された。私事であるが、その事を非常に感じていただけに心に響いた。最後に、「これからは、ひとりの支援者として積極的に関わっていきたい」と締めくくられた。

退任挨拶終了後、真宗会館へ戻り、お茶とお菓子を頂きながら交流会が行われた。このたびは大阪教区の担当ということで二十四名の参加があった。

ある参加者の方が、「こちらに来るときに、霧のため瀬戸大橋は通行止めであったので、邑久長島大橋は大丈夫だろうかと心配したが渡ることができた」とおっしゃられ、大橋といっても全長は一八五メートルとそこまで長くはないので、笑いがおこった。その後、「瀬戸大橋は霧が晴れれば多くの人が渡るが、邑久長島大橋は霧がかかってあるなしに関係なく、渡ろうとする人は非常に少ないのではないか。そんな事を感じながら橋を渡りました」と続けて話された。

交流会終了後には、監房跡を見学させていただき、回復者の方から愛生園の歴史について、ご自身の経験を織り交ぜながらお話いただいた。

ハンセン病への偏見は、特に年配の方々には根強く残る。一方、若い層には偏見がないというより関心がないのが現状である。現在、日本人で発病する人は皆無であるが故に、関わりが持てない事により無関心にならざるを得ないのかもしれない。

「邑久長島大橋」は別称「人間回復の橋」と呼ばれる。差別されてきた人が、差別から解放されて橋を渡るのではなく、差別してきた人も島へ渡り交流する所に、お互いの人間性を取り戻すことが出来る。そんな願いが込められた橋である。

「解放はどちらか一方ではなく双方が向き合って初めて成り立つのである」

いつかの研修会での言葉を思い起こした。一人でも多く、声をかけ、一緒に足を運んで頂くことが私の役目でもあるのだと感じている。(施設交流部 松岡)