教区教化委員会

【レポート】 聖教・儀式学習会(教区教化委員会教学・研修部門)


教学・研修部門では、このたび初の試みとなる声明作法と聖教学習の両方を日程に組み込んだ「聖教・儀式学習会」を姫路・広島の二会場において“葬儀の和讃に学ぶ”をテーマに開催いたしました。
講師は、聖教学習を(第一回・第二回ともに)大谷大学講師の藤元雅文氏、声明作法を准堂衆会に依頼し、第一回(姫路)は髙橋仁誓氏(安芸南組得藏寺)、第二回(広島)は廣瀨立慶氏(第6組東光寺)に来ていただきました。

第一回(姫路会場) テーマ:和讃「本願力にあいぬれば」 参加者:23名
髙橋氏より勤行指導をいただき、そして「勤めながら言葉に出遇いなおしていく」とお話しされました。
聖教学習では藤元氏より、なぜ葬儀の和讃として用いられるかという事について、「私たちの人生で必ず向き合わねばならない死。死を前にして私たちが空しくならない願い。私たちが出遇うべき教えとは何かというのを教えてくれる和讃である」とお話されました。

 

 

 

 

 

第二回(広島会場) テーマ:和讃「真実信心うるひとは」 参加者:23名

廣瀨氏により勤行指導をいただき、そして「言葉が伝わりやすいように」とお話しされました。
聖教学習では藤元氏より、「変成男子」を大変課題のある言葉とされ、「私たちが「男尊女卑」という価値観を固定させて聞いていくと、親鸞聖人のこころに背いていくことになる、誰も区別しない第十八願のこころを聞く言葉」、また「葬儀の中で勤めるという事は、どんな人にも本願のはたらきの中にいる、本願に出遇い念仏の歴史を深く生きた方達が願われている事、今を生きる私たちが自分を見つめ、生きるという事を大切にするということ」とお話しされました。御門徒の葬儀を儀式執行する私たち僧侶にとって、葬儀一回一回が親鸞聖人の言葉に出遇う場所、また御門徒の姿そのものが光となり、私自身に「本願がはたらきかけていることに手が合わさる場所」であると、大切にいただいていかなければいけない。

(教区教化委員会教学・研修部門 山科立人)