二〇二〇年は年初より新型コロナウイルス感染の脅威が世界的に拡大し、今もその渦中にあります。寺院においては、法務が滞り仏法の会座が奪われ、僧俗共に教えを聞く場が失われています。同時に寺院運営の経済疲弊が著しく、コロナ終息後の不安も益々大きくなっています。私たちはこの危機の中にあって改めて、お寺とは、念仏とは、信心とは、を問いただす大切なご縁にしなければなりません。
永い本願流伝の歴史は、教化伝道の過程で様々な危機的状況、緊急事態に直面してきました。仏教はそのすべてを乗り越え今日、この場に確かに伝わっています。それは仏の法が苦悩する人間を通し、人間存在そのものを丸ごと救済してきた事実に他なりません。その意味で絶対的信頼は仏の法にあり、人間の側ではありません。親鸞は正信偈に、釈尊がこの世に生まれた意義は、ただ如来の本願なる法を説くためであると深く憶念されました。念仏は絶対他力の仏法であります。それは世界がどういう状況にあろうとも、コロナ禍の今もここに息づいています。まずそのことを心に深く刻み、今私に出来ることは何かを考えることです。いずれコロナは必ず終息します。その時のための大切な準備期間としましょう。
教区テーマについて、真宗はいつの時代でも先ず何をおいても真の人が誕生することです。人生の苦悩、世の不条理の只中にあって、それでもなお人間として生きる道を見い出すことができた。帰依三宝による歩みが始まる感動でありましょう。お寺が念仏者を生み出す場となり、仏法を本として一人から二人、三人と広がり、お互いが尊敬しあう「御同朋・御同行」の場が創造され回復されていく。「集い、聞き、語る」場が、自ずと温もりのある関係となりましょう。
私自身の信心を問うことなくして、言葉をいくら尽くして教化を叫ぼうともそれは仏法の形骸化であります。あなたは本当に救われたのか?人に出遇い、法に出遇い、自身に出遇ったのか?と宗祖が呼びかけています。さぁどう応えますか?
(前教化推進本部長 藤井 晃〔美作組本琳寺〕)