特別リレーコラム

【教区教化テーマ リレーコラムVOL9】


「創造と回復 ー温もりのあるお寺をともに!ー 」

ビートルズを聴くと不良だと言われた時代があったらしい。

ビートルズがデビューしたころ、イギリスでも彼らがやっている音楽は「騒音」「悪魔の音楽」と大人たちに煙たがれていたという。記者会見で煙草を吸う。くだらない質問にはまじめに答えない。権力や世の中にこびない姿勢が反体制派の象徴のようなものだったのだろう。当時、イギリスでさえこうなのに、その頃の日本でビートルズなんて若者に悪影響を及ぼすとんでもない存在だったのだろう。しかし、いまの若者がビートルズを聴いているというと、大人たちは「なんていい子なんだ」と言うかもしれない。

今や低年齢からスマホを持ち、ゲームが手軽にでき、SNSなどを使って世界中の人々と繋がることができる。子供は外で遊ばなくなったと言う大人はたくさんいるが、遊び場を無くし、スマホを与えたのは紛れもなく大人である。

誰しもが若者だった時がある。「最近の若者は」と大人たちに上から言われ、自分のことを分かってくれない、こんな大人にはなりたくないと思った経験のある人は少なくないだろう。そんな若者だった自分が、あんなに言われて不快だった「最近の若者は」という言葉を使う大人になっている。

人口で見ても、大人とは社会的に圧倒的多数派で、若者は圧倒的少数派である。多数派にとって都合のいいように社会や組織は動いていく。大人といっても年齢層によって意識の違いはあるにせよ、多数派の大人となった私は、少数派である若者を理解しがたい存在と認識してしまっているのだろう。

宗門では若者の年齢を目安として一九歳からおおむね三五歳までと定義している。青少幼年教化の中で、ある意味手薄だったこの世代への教化についての取り組みが始まっている。教区の青少幼年部門としても今後考えていかなければならない事柄ではある。

最近の流行や思考を理解することを諦め、若者にとって全く理解しがたく、不快な存在である「最近の大人」は、若者に何をどう伝えていけるのであろうか。大人となった私の考え方そのものから確認していきたい。

(青少幼年部門部長 湯朝 良尚)