教区教化委員会

【教区教化テーマ】についてのリレーコラムVol.4

教区教化テーマ リレーコラムVOL4
いち門徒の独り言
お寺は生きている内に行く処、死んで行っても稔り無しといいつつ我を振り返ると、お正月、お盆、報恩講、永代供養、お寺の役員会、等々ぐらいしか足を運んでいないのが現実です。
今、全国教区門徒会正副会長協議会(全門協)に於いて『元気なお寺作りを目指して、今、真宗門徒は何をすべきか』をテーマにこの数年協議され続けられてきていますが、各教区共に課題となっている事が、住職と門徒の関係性の希薄化、おりとあらゆるレベル(教区、組、寺院)に於いて情報の共有が不足している事が指摘されております。
寺と門徒が置かれている現状は時代の変化に伴い、少子高齢化の加速に加えて、核家族化、生活様式の変化により仏事に対して関心度が薄れてきている環境下ではありますが、お寺は住職という立場がお寺の器を作るわけで、住職の考え方、行動力によってその器は大きくなったり小さくなったりするのではないでしょうか。
私たち門徒は、その器の中に心の拠り所を求めてお寺に、住職に寄り添う接点を求めているのですが、なかなか共に御同朋御同行として歩むことが出来ていないように思います。なぜならば人間はどこまでも自分の都合によって振り廻されている身を生きています。場を創造していく上で、門徒は寺のために、寺は門徒のためにといった、互いに思いやりの気持ちで、『倅啄同時』という言葉がございますが、殼の中から雛が啼きその声を聞いた瞬間、親鳥が殼を外からつついて破るこの親子の阿吽の呼吸が大切ではないでしょうか。花には水がなけれぼ枯れてしまいます。人には愛がなければ育ちません。門徒も寺も慈愛という水を掛け合う事が温もりになるのではないでしょうか?
次に教区、組、寺院との情報の共有不足についてですが、組織上は情報の共有化が仕組みにはなっていますが機能していないように思います。今、教化事業が見直されていますが教区事業に終わることなく、組、寺院、門徒が情報を共有して実行していかねば、虚しい事業になってしまうのではないかと思います。その第一歩は、各寺院が必ず勤める報恩講を契機として、共に学ぶ場を共に創り上げていくことが、点が線に、そして面にと広がっていくのではないでしょうか。議論に時を費やすのではなく出来る事がら一歩を踏みだす事が大切だと思う今日この頃です。
〔教化推進本部 北浦 康至 一 山陽教区門徒会長 第三組栴念寺門徒〕)